人種問題を和解と統一へ昇華させた真の指導者、ネルソン・マンデラ南アフリカ共和国大統領を考える
令和4年10月24日
http://www.civicnews.com/news/articleView.html?idxno=33311
南アフリカ共和国大統領、再任後と退任後に2度韓国を訪問した縁
人種差別に反対し、武装闘争まで敢行し、27年間の獄中生活も闘争
釈放後は民族和合のため、渾身の力で現南アの土台を固める
白人主軸の南アで、ラグビーチームが優勝するストーリーの映画「インビクタス(Invictus)」の制作も
韓国と故ネルソン・マンデラ南アフリカ共和国大統領は縁がある。故マンデラ大統領は大統領在任中の1995年と退任後の2001年にそれぞれ金泳三大統領,金大中大統領から招待を受け韓国を訪れている。訪問中は,国会での演説,大学訪問,各界代表を招いた晩餐会などの日程をこなした。当時,南山タワー(現在のソウル・タワー)の地下階には地球村博物館があったが,著者はそこでマンデラ大統領の等身大の人形と同大統領の生涯に関する展示を見た記憶がある。
著者は3年間のソウル勤務の後,2004年に南アフリカ共和国に転任した。マンデラ大統領はすでに故郷であるクヌに戻り隠遁生活を送っていたが,南アフリカの人々からの信頼を一身に受け絶大な人気を維持していた。公式行事に出席することはほとんどなかったが,「マディバ」の愛称で親しまれた彼の人望は衰えることはなく,2013年に95才で死去するまで「マディバ」の一言は南アフリカの他の誰の発言よりも尊重された。
マンデラ大統領の人生と偉業については,自著伝である「自由への長い道のり(Long walk to freedom)」に詳細があるのでここでは繰り返さない。27年間の獄中生活を含む長きにわたり反アパルトヘイト運動の闘士として戦い,釈放後はアフリカ民族会議(ANC)議長,更には南アフリカ共和国大統領として全民族融合の実現に力を尽くした。これが現在の南アフリカ共和国の礎となったことは疑いない。なお,上述の「自由への長い道のり」の韓国語版の訳は金大中大統領によるものだ。
南アフリカの歴史は複雑である。人類発祥の地と言われ,温暖かつ豊かな南アフリカの地には太古より様々な人種,民族が流入してきた。サン族,コイコイ族は紀元前より居住していたが,紀元後は数百年にわたり赤道付近からズール族,コーサ族といったバントゥ系語族が南下し定着した。17世紀大航海時代に入ると喜望峰を中心とするケープ地域にオランダからの移民(ボーア人)が増加し,また,後にカラードと呼ばれるインドネシア系人種との混血も増えた。18世紀末には豊富な地下資源を求めてイギリス人移民が増え,ケープ植民地はオランダからイギリスに譲渡された。ボーア人は先住アフリカ人と戦いながら内陸部に進出し,ナタール共和国,トランスバール共和国,オレンジ自由国などのボーア諸共和国を建国した。その後,ボーア諸共和国とイギリスとの戦争(ボーア戦争),先住アフリカ人との戦い(ズール戦争)を経て,1910年には大英帝国内にボーア人による自治領である南アフリカ連邦が成立される。1918年ネルソン・マンデラはクヌ地域の首長の子として誕生している。第二次大戦後,南アフリカ連邦はアパルトヘイト政策(人種隔離政策)を推進した。イギリスがアパルトヘイト政策を批判すると南アフリカ連邦はイギリス連邦より脱退し南アフリカ共和国が成立する。
ネルソン・マンデラはアパルトヘイト体制に対し一切の妥協を許さない不屈の闘士であった。武装闘争路線もやむを得ずとして活動を行い,獄中にあっても反アパルトヘイト運動のシンボルであり続けた。80年代後半になると南アフリカ共和国をめぐる国内外の情勢が変化し,90年にマンデラは釈放される。マンデラは白人執権党である国民党と交渉し,91年にはアパルトヘイト関連法を廃止させ,その後の全人種参加の選挙の実施,新憲法の制定に道筋をつける。これらの功績により93年,国民党のデクラーク大統領とともにノーベル平和賞を受賞する。
人種・民族間の対立と抗争に苦しめられた南アフリカにおいて,抑圧と恨みの連鎖を絶つことは万民の最大公約の願いであったが,その実現は困難を極めた。マンデラはあらゆる民族の和合のための万民の指導者となった。著者は,ネルソン・マンデラの最大の偉大さは,被抑圧層の象徴として戦い抜いた自らを,南アフリカのすべての人種・民族のための指導者へと昇華させ,全国民を導いたところにあると考えている。
1994年には南アフリカ史上初の全人種参加の選挙が実施され,マンデラは大統領に就任する。1996年に新たに制定した憲法では,南アフリカの人種・民族が使用する11の言語が公用語と指定された。大統領就任後もあらゆる機会を活かして南アフリカ共和国の全民族融合に努めた。95年にラグビー・ワールドカップが南アフリカで開催されるが,マンデラ大統領はほとんどが白人で占められる自国チーム,スプリングボクスを全面的に支援した。スプリングボクスは最強と云われたニュー・ジーランドチームを破り優勝する。この逸話は映画化されている(「Invictus(負けざる人々)(2009年製作,クリント・イーストウッド監督)」)。
マンデラ大統領は獄中生活で英国の詩「Invictus」(ウィリアム·アーネスト·ヘンリー(William Ernest Henley)作)を愛唱し心の支えとした。「Invictus」の末尾は,「....I am the master of my fate: I am the captain of my soul. (私が我が運命の支配者,私が我が魂の指揮官なのだ。)」で終わる。