丸山総領事による「国際新聞」への寄稿

令和3年8月13日
  8月13日付の「国際新聞」において、丸山総領事の寄稿が掲載されました。
 
(国際新聞オンライン記事リンク:韓国語ページ)
http://www.kookje.co.kr/news2011/asp/newsbody.asp?code=0300&key=20210813.22004003568


(日本語訳)
義人・李秀賢を想う
 
在釜山日本国総領事  丸山 浩平
 
  厳しい日韓関係に、未曾有の感染症の世界的大流行が加わり、年間1000万人を超えた日韓間の人的往来も大きなダメージを負っている。しかし困難な外交関係やコロナの未終息という辛い状況の中でも、我々は日韓両国を照らす暖かい陽光のような人を追慕することができる。日本留学中、東京・JR新大久保駅で線路に転落した日本人の救助を試み、帰らぬ人となった李秀賢さん。今年は、彼の20周忌にあたる。
 
  20周年という節目の年にもかかわらず、コロナ禍のために、追悼行事も様々な制約を受けている。それでも去る5月、金井文化会館にて李秀賢20周忌追悼音楽会と李秀賢さんの家族と古くからの友人が彼との思い出について語るトークショーが開催された。李秀賢さんを思う人々、厳しい日韓関係の中で何かを模索しようとする日韓の人々の気持ちがホールに溢れ、コンサートの感動はより深いものとなった。トークショーで語られたのは、おしゃれ好きで、音楽やスポーツを愛する青年、実に愛すべき韓国青年の姿であった。写真に残された彼の笑顔はまさに陽光のようで屈託がなく、ご家族やご友人の涙が、殊更強く胸を打った。また、この日の行事に併せて、当館と(社)釜山韓日文化交流協会が主催する評伝「1月の陽光」感想文コンテスト授賞式が開催された。嶺南地域の多くの高校生と大学生が、李秀賢さんが身をもって示した「人間愛」や、思い続けた日韓関係の未来について、彼らは様々な考えを示してくれた。
 
  この頃、私に一通のメールが届いた。現在東京で外国人留学生に日本語を教えている大学時代の後輩だった。李秀賢さんについての報道から私が釜山にいることを知り、思い切って連絡をくれたことが記されていた。周囲の留学生が李秀賢さん所縁のLSHアジア奨学金に応募し、李秀賢さんやお父様の意思を受け継ごうと努力し、懸命に勉強していることをどうしても私に伝えたかったと書かれていた。そして日本の多くの語学学校で李秀賢さんのことが語り継がれているともあった。
 
  「過去を克服し、前へ進むために、日本と関係する仕事をやりながら、自分なりに両国の友好関係を作っていけるように、力になりたい。」 李秀賢さんが日本留学を決意し、了承を得るために御両親に述べた言葉である。この20年、日韓双方で、彼の夢や遺志を継ごうとする若者やそれを支援する人々が現れている。10年来続くアイモ(美しい青年李秀賢モイム)等の日韓の青少年交流事業が生まれ、李秀賢さんと同じ志を持ってアジア諸国から日本語を学びに来る留学生達を支援するLSHアジア奨学会は、1000名以上の奨学生に支援を行ってきた。彼の「日韓間の架け橋になりたい」という夢は、いくつもの架け橋を生み出し続けている。
 
  釜山をはじめ、嶺南地域は、日本と地理的に近く、多様な交流を重ねてきた。特に九州をはじめとする西日本地域との地方都市間の交流は活発であり、緊密な関係を築いてきた。しかし、政治外交分野での対立は両国国民の相手国に対する感情を傷つけている。「反日」、「嫌韓」が国民レベルで言われるようになってすでに久しい。どのような状況にあっても、感情的な対立は、日本にも、韓国にも、決して利益にならない。日本と韓国は、互いに向き合って対立するのではなく、同じ方向を向いて世界や地域に貢献することが求められている。
 
  多くの方々から、「総領事は大変な時期に釜山に来ましたね。」「時にいがみ合うのは隣国同士の運命だから。」と慰めていただくことが多い。隣国関係の難しさを思うとともに、嶺南の人々の情に打たれる日々を過ごしている。しかし、いがみ合うこともあろうけれど、やはり我々はともに手を携えて進むことこそが運命なのだと確信している。尊い人間愛に生きた李秀賢さんが抱いた夢を思い、彼の行動を思い出す時、私はそれが、決して単なるきれい事だとは思えないのである。