釜山市立公園墓地にある慰霊碑
令和5年5月1日
○ 日本人慰霊碑
終戦とともに約5万人いた釜山在住の日本人は日本に引き揚げましたが、釜山市西区峨嵋洞(アミドン)の火葬場をはじめ市内各所には日本人の遺骨、位牌、過去帳などが放置されたままでした。
1962年5月に峨嵋洞の火葬場が釜山鎮区堂甘洞(タンガムドン)に移転した際、当時の金玄玉(キム・ヒョノク)釜山市長の人道的なお
考えから市内に散在していた位牌、過去帳などを一箇所に集め、「日本人冢移安之碑」と刻まれた石碑と納牌堂が建立されました。
その後、都市再開発計画により日本人慰霊碑も再度移転されることになり、1991年10月、土地・移転費用等を釜山市が全額負担する形で、
現在の釜山市立公園墓地内に日本人慰霊碑が新たに建立されました。
2017年には名前を刻んだ石碑が慰霊碑の横に設置されました。
○ 故李秀賢氏の墓所
釜山市立公園墓地内には、2001年1月26日、JR新大久保駅で線路に転落した日本人男性を助けようとして、写真家の関根史郎氏と共に電車にはねられ自ら犠牲となった韓国人留学生李秀賢氏(享年26歳)のお墓があります。李秀賢氏の崇高な行為は、日韓両国民に深い感動を
与え、日韓友好の絆として語り継がれています。
○ 太平洋戦争犠牲者慰霊碑
日本人慰霊碑のそばには、太平洋戦争で犠牲となられた朝鮮半島出身の軍人・軍属を弔う太平洋戦争犠牲者慰霊碑もあります。釜山市立公園墓地にある慰霊碑(写真)
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釜山市立公園墓地入口 | 日本人慰霊碑入口 | 日本人慰霊碑 |
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李秀賢氏の墓標 | 李秀賢氏の墓石 |
釜山市立公園墓地 所在地および案内図
